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うさぎと鳩と金曜の夜

鳩山氏、雨がっぱで反原発デモに…拡声機握る
 民主党の鳩山元首相は20日夕、関西電力大飯原子力発電所(福井県)の運転停止を求める市民グループらが首相官邸前で行った抗議活動に加わり、「この時点での再稼働はやめるべきだと私も思っている」と訴えた。
 小雨の中、雨がっぱ姿で表れた鳩山氏は、「再稼働反対」とシュプレヒコールを続ける参加者と握手をして回った。その後、拡声機を握り、「皆さんの新しい民主主義の流れをとても大事にしなければならない。首相を経験した、官邸にいた側として、皆さん方の声を官邸に伝え、政治の流れを変える役割を果たさなければならないと思って来た」と語った。
 鳩山氏はその後、首相官邸を訪れ、藤村官房長官と会談。野田首相が抗議行動の主催者と面会するよう要請した。
2012年7月21日 読売新聞

どいつもこいつも卑しい政治家ばっかりだね。
いずれ反原発デモを政治利用しようとする政治家が出てくると予想してはいたけど、まさか鳩ポッポとはね(笑)
地下原発を推進したいと抜かしている議員が、どの面下げて演説ぶってんだ。
本気で脱原発を考えてるなら、とっとと国会議員を辞めて、脱原発の政治家として次期選挙にでも出馬すりゃいいんじゃん。
そうすりゃ、少しは世間も見直すかもよ。
こんな風に、怪しく卑しい政治家にデモが利用されるのは、迷惑以外の何物でもない。

ただ、反原発のデモも、そろそろ次の展開に移行していかないと、そのうちマンネリ化して、更なる展望が開けなくなる恐れがある。
ずさんな原発の意見公聴会のような燃料投下でつい紛れちゃてるけど、いつまでも原発再稼動反対を唱えるているだけでは、いずれ運動の限界は訪れる。
既に脱原発のメッセージを発する意義は充分に達せられたとするならば、今、盛り上がっている機運を、脱原発に向けた具体的なプロセスにシフトしていかなければ、より多くの国民の支持を得るのは難しくなるだろうね。
全国的な運動に裾野を拡げていきながら、政府や自治体にプレッシャー与えていく一方で、脱原発に向けた具体的な要求や提案を示していくような、新たな運動方針が求められることになるのだと思う。
要は、以前から指摘している通り、スピードと戦略が必要になってくるということだ。

いずれにしても、これから日本の人口が減っていけば、自ずと電力消費量も減る訳で、長期的に考えれば、原発に依存してまで電力供給を賄う話は、もはやなんの説得力も持たない。
仮に日本経済が発展したとしても、どの道、製造業の未来なんてのはないんだから、経団連の皆さんは、安心して脱原発に身を委ねてもらっても構わないのだけどね(笑)

そう考えると、一番の問題は脱原発に向けた短期的なプロセスということになる。
なんせ、電力に係る実態は、電力会社しか知りえない訳で、客観的な検証が困難なだけに、どんなプロセスを提示したとても、突き詰めると理想論に陥ってしまう。
これって結果的には、原発の推進論者にも反対論者にも都合のよい解釈を与える隙にもなっちゃってる訳で、いずれの議論が交わらないのも、お互いが合致しないデータを用いて持論を展開させているからに他ならない。
ついでに言うと、放射能の健康被害にも同じことが言える訳で、放射能に関する医学的な検証材料が乏しいことが、客観的な判断を難しくさせており、いずれの話にも共通して言えることは、一体どちらの説を信じるのか?といった具合に、主観による判断を余儀なくされてしまっているということだ。
結局のところ、今の電力会社による寡占状態を解体し、様々な情報公開を行わない限り、脱原発以前に、客観的な考察すら行うことは出来ないのだ。
電力会社が一方的に情報を持っている限り、電力の正確な需給量すら我々は知る由も無い。
つまり、客観性が担保される状況を作らないことには、まともな議論さえままならない、アンフェアな状況にあることを、認識しておかなければならないということだ。
個人的には、原発の是非を考える為にも、まずは電力の自由化と、発電方式の選択など、電力事業の改革を真っ先にするべきだと強く訴えておきたい。

続いて、脱原発について、ちょっと気になった話題。
なんでも最近、かつて王子様と呼ばれたインテリミュージシャンの小沢健二が、デモについて書いたコラムが話題になっているらしい。

金曜の夜 小沢健二のHPより

反原発系のミュージシャンというと、坂本龍一が、まるで水を得た魚のように、盛んに活動しているのが目に付くが、どうも反原発ビジネスのニオイがきつくて、個人的には引いてしまっている(笑)
ただ、こういった社会情勢に敏感に反応して、何らかのメッセージを放つのがアーティストたるものだと思うのだが、まるで政治的なメッセージを自主規制しているみたいで、無関心を装う多くの日本のミュージシャン共には失望感させられっ放しだ。
こんな時に、もし忌野清志郎が生きていたらと思う。

そんな訳で小沢健二。
まるで傍観者が語っているみたいで、大きな違和感を覚えた。
日本で生まれ育っただろうに、彼の言葉からは、なんのリアリティも伝わってこない。
コスモポリタンを気取っているのかもしれないけど、今も混乱の真っ只中にいる我々にとっては、余計な心配をしてくれているようにしか思えなかった。
現実と向き合わなければいけない時に、何をニューヨークから呑気に語っているのだろうか。
さすが王子様と言われるだけのことはある(笑)
彼の捻くれたインテリジェンスが邪魔をしているだけなのかもしれないけど、彼の言葉を理解する余裕が、今の日本には無い。
逆に言うと、彼は今の日本の現状を理解してはいない。
なぜなら、世界標準からは未だ程遠い日本で、このようなデモが起きること自体、メキシコやニューヨークより遥かに、危機的な社会状況であることを意味しているのだから。

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