SSブログ

不健全な国家には不健全な総理が宿る?

以前に当ブログのエントリーを話題にしてもらったこともある、とある政治系のブログを読んでいて思ったこと。

kojitakenの日記 より一部引用
谷亮子議員(生活の党)、国会でも「ジコチュー」炸裂?
~前略~
私は昔、一流のアスリートというのは心技体の揃った人間だと思っていたが、ある時期、プロ野球のトップクラスの選手の一部に著しく「心」の欠如した人間がいることを認めざるを得なくなった。いまや、この認識の対象を五輪の金メダリストにも広げざるを得なくなったことはきわめて残念である。

このエントリーを読んだ時、作家でもあり精神科医でもあった北杜夫が、マンボウ名義で書いていたエッセイ本の中で、健全な肉体に健全な精神が宿るとは限らない趣旨の話があったことを、ふと思い出した(笑)
恐らくは、小学生か中学生の頃に読んだエッセイ本だったと思うけど、その中で、健全な肉体に健全な精神が宿ったらいいなぁぐらいに留めておいたほうが丁度良いと結んでいたように記憶している。
数十年ぶりに、その話を期せずして思い出した訳なのだが、いまだに記憶に残っているということは、子供ながら、己の道徳心?になんらかの影響を与えていたということになるのだろう。

例えば、スポーツマンらしく正々堂々となんて物言いもよく聞かれるけど、そもそもスポーツマンなんて概念も、突き詰めるとお仕着せでしかないんだよなぁ。
これって、教師にも同じことが言える訳で、教師らしい振る舞いが求められる強迫観念や同調圧力のようなものが、逆に体罰へと走らせてしまうのかもしれないと、ふと思ってみた。
そもそも、高校生らしいとか男らしいとかもそうだけど、実は、日本社会にはこういった観念や固定概念が思っている以上に渦巻いていて、なんと息苦しい社会なのかとも思う。
逆に言うと、観念的な社会というのは偏見を生み出しやすい社会でもあると言える訳で、最近の日本を見て感じるのは、そういった息苦しさが、偏見や差別を助長するような負のスパイラルに陥っていやしないかということだ。

昨今の公務員叩きや生活保護受給者に対するバッシングなんかは、まさにその象徴例とも言える訳で、例えば、経費の無駄や不正を正して公共サービスの質を上げる話だったはずが、何故か公務員の数や給与を減らすことにすり替わり、結果的に公共サービスの質を下げることが支持されるという、なんとも滑稽な話に入れ替わってたりするのだ。
生活保護にしても、一部の不正受給者の行いだけがやたらクローズアップされ、本来、救うべき社会的弱者が追いやられ、セーフティネットの機能が損なわれていたりする訳で、ホント理解に苦しむ。

その他にも、中国で頻発した反日デモにしたって、実際は一部の大都市で一部の参加者が派手に行っていただけで、大半の中国人は、いつもと変わらぬ日常生活を送っているのが実情であり、東北の震災で起きた話でも、実は至るところで略奪は行われ、周りは見て見ぬふりをしていたという逆の例だってあったりするのだ。
即ち、センセーショナルな話題だけが先行し、本質的な問題が矮小化される事態が頻発しているように思えて仕方が無い。

思うに、商業主義に走り、もはやジャーナリズムを失ったマスコミと、一方で恣意的な情報で溢れかえっている無秩序なネットメディアの両者が、日本社会のメディアリテラシーを低下させ、人々の社会不安や社会不信を増長させているのではないかと考える次第だ。
でもって、そういった人々の不安や不信に政治や企業がつけこみ、安易な選択を迫るようにしながら、日本社会を好き勝手にしているのが、今の日本の現状なのだと思う。

アベノミクスなんかは、まさにその典型例とも言える訳で、経済的に実態の伴わない株価上昇と円安が招くのは、更なる格差と不況の拡大でしかないのだけど、世間は歓迎ムード一色だ。
景気回復の必須条件である労働生産性と消費の向上無くして景気の回復なぞありえないのに、そういった話は、何故かどこかに追いやられている。
そんな中、いくらお金を刷ったところで、構造の変わらない経済市場に委ねているだけでは、結局のところ、富の一極集中を招くことでしかなく、決して日本社会全体の景気が上向く訳ではないんだけどね。
雲の上で、お金がジャブジャブ回っているだけで、むしろ市民生活は厳しくなる可能性の方が高いってのに、世間は一体に何に浮かれているのだろうか?

そんな訳で、今の日本を見ていると、社会不安が、人々から冷静かつ客観的な判断力を奪い、更なる社会不安を巻き起こしているように思えて仕方が無い。
日本社会が自信を失ったと言われて久しいけど、所詮は戦前戦後の全体主義によって培われて来た、張りぼての自信でしかなかった訳で、国が揺らげば、簡単に崩れてしまう程度のものでしかなかったということだ。
であるならば、我々一人一人が、国や経済を変えて本物の自信を取り戻してく以外に、この国が立ち直る術は無いのだけど、残念ながら、ことあるごとに「日本らしさを取り戻す」と連呼する総理の下では、ほぼ実現は不可能だと言わざるを得ない。
言っとくけど、そんな張りぼての自信なんか取り戻す必要は無い。
てか、それって変化を拒否しているようなもんだよ。
いやホント、溜息しか出てこない(笑)
今、この国に必要なのは、自分らしく生きることが出来る社会に変えていくこと。
まずは、そこからなんだけどなぁ。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。