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アナーキー・イン・ザ・ジャパン

サッチャー元首相の死去に関する一連のニュースを見ていて思ったのは、今まさに、日本の政治にサッチャリズムが到来しているのではないかということ。
当時のサッチャーと言えば、極端な新自由主義政策を遂行し、保守の政治家として名を馳せた訳なんだけど...ってば、そう、どこぞの極東にある島国の総理大臣と、なんとなくダブってるんですけど(笑)
おまけに、領土問題を抱えているところまで、なんの偶然かリンクしちゃってるし...
ただし、サッチャーが「鉄の女」と呼ばれたのに対して、こちらの総理には、鉄分なぞほとんど含まれていないようにしか見えないけど(爆)

そんな訳で、故人を偲ぶのは、礼儀としてしかるべきだとは思うけど、だからと言って、サッチャーの行った政策が美化されるのを許していいということではないはずだ。
新自由主義に基づいて小さな政府を志向したサッチャーの政策がイギリスにもたらしたものは、高所得者や企業を優遇することによって生じた所得格差と大量の失業者であり、イギリスの多数を占める労働者階級の人々からすれば、未だにサッチャーはイギリス社会を不幸のどん底に突き落とした忌まわしき存在でしかないのだ。
サッチャリズムによってイギリス経済が立ち直ったとして、その政治手腕が称えられてもいるが、それは、多くの労働者階級の犠牲の上に成り立っていただけの話であって、決して偉大な政治家では無かったということなのだ。


ミュージシャンの批判対象にも
経済の自由化に取り組んだ一方で貧富の格差の拡大を招き、さらにはフォークランド諸島を巡りアルゼンチンと戦火を交えたサッチャー元首相は、1980年代、若者たちの不満を代弁するイギリスの数々のミュージシャンの批判の対象となりました。

このうちバラード曲「シー」のヒットなどで知られるエルヴィス・コステロさんは、1983年に発表した「シップビルディング」という曲で、軍艦を作る造船所の町の悲哀を通してフォークランド紛争への抗議の意思を示しました。 またポール・ウェラーさん率いるザ・スタイル・カウンシルは、1984年のヒット曲「シャウト・トゥ・ザ・トップ」で、「底辺に落ちてあえいでいるときは、いちばん偉いやつに叫べ」と歌っています。 ウェラーさんは、自身のホームページに掲載されたインタビュー記事の中で、「当時、労働組合は弱体化させられ、炭鉱作業員のストが相次ぎ、失業者があふれた。サッチャーは暴君、独裁者だった」と述べています。 また、ザ・スミスの元ボーカリストでソロ活動を続けているモリッシ-さんは、1988年に発表した「マーガレット・オン・ザ・ギロチン」という曲の中で、「マーガレットをギロチンにかけろ」とサッチャー元首相を激しく批判しています。 モリッシ-さんは、サッチャー元首相の死去を受けて「サッチャー氏のせいで、次に女性が首相になることはないだろう。彼女は道を開いたのではなく、閉ざしたのだ。サッチャー氏は、人間性のかけらもない恐怖そのものだった」と極めて辛辣(しんらつ)なコメントを発表しました。
2013年4月9日 NHK NEWS WEB

※ちなみにモリッシーのコメントは、過去のインタビュー記事が出回ったものらしく、先日、本人が改めてコメントしている。
モリッシー、新たに故サッチャー元首相へのコメントを発表。
RO69より

それにしても、散々な言われよう(笑)
さすがは、パンク発祥の国ですな。
それに引きかえ、日本のミュージシャン達のなんと大人しいこと(笑)
社会が抱える様々な問題や矛盾を敏感に感じ取って表現していくことも、ミュージシャンの存在意義のひとつだと思っているんだけど、こと日本のミュージシャンとなると、政治的なメッセージをあえて避けているようにしか見えない。
今の日本には、音楽で訴える題材が山のようにあるはずなんだけどね。
思うに、音楽文化ってのは、常にその時代の社会状況を反映させながら発展してきた訳で、昨今、日本の音楽が売れなくなったのも、そして魅力が無くなってきたのも、そういった意味では、皮肉なことに、今の日本そのものが、廃れてしまっているということを表しているのかもしれないと思ってみた。

ちなみに、当時のサッチャー首相は、フォークランド紛争によって、それまでの政権批判をかわして支持率が上昇に転じた訳なんだけど、これを、今の日本に置き換えてみると、尖閣、竹島といった領土問題に加えて、北朝鮮の暴走も始まっていたりで、安倍政権にとっても、同じような素地がすでに出来上がっているようなもんで、ある意味願ったり叶ったりなのかもしれない。
更についでに言うと、サッチャーはイギリスの自虐史観を否定した教育改革の政策を推し進めた人物でもあり、もはやこうなると、安倍とサッチャーの相違点を見つけるほうが難しいぐらいだ(笑)

そんな訳で、このまま安倍政権が続けば、一層、所得の格差は広がり、そして格差の固定化が進むこととなって、更なる社会的混乱が生じることになるだろう。
そして、そうした国家の危機に乗じて、領土や北朝鮮外交の問題にすり替えるなどして、憲法改正を筆頭に、一気に右極化へと舵を切りかねないのが安倍総理なのだ。
即ちそれは、国民の為に国家が存在しているのではなく、国家の為に国民が存在している、安倍総理が目指さんとする国家主義の誕生を意味することになる。

既に、日銀人事では、中立性を無視した政治介入を行い、一票の格差問題では、裁判所の違憲判断を無視した、選挙制度改革を推し進めようとするなど、民主国家の根源を蔑ろにした政治の暴走が起き始めていることを見逃してはいけない。
安倍政権は、必ずしも国民の為に政治をしている訳ではないのだ。

体制や権力に対して、批判や反骨精神を失ってしまっては、死んだも同然だと思っている。
したがって、日本に軟弱なミュージシャンしか存在しなくとも、このブログだけは、パンクやロックの精神を宿して毒を吐き続けていくつもりだ。
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