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誰様のNHK? NHKスペシャル「女性たちの貧困」を見て

放送後、かなりネットでも話題になったようだけど、偶然にも深夜に再放送を見る機会があったので気になったことを書き記しておく。

NHKスペシャル 調査報告 女性たちの貧困 ~"新たな連鎖"の衝撃~
= 2014年4月27日(日) NHK総合 =
10代20代の女性の間で深刻化する貧困の実態を描いた今年1月のクローズアップ現代「あしたが見えない」。放送後、番組サイトが異例のページビューを記録した。通常8千程度のページビューが、60万を超えたのである。そして、寄せられたのは「他人事では決してない」という切実な声だった。いま、若い女性たちの間で何が広がっているのか。取材を進め見えてきたのは、親の世代の貧困が、子の世代へと引き継がれ、特に若い女性たちに重くのしかかるという“現実”だった。番組では、厳しい生活にあえぐ若い女性たちの知られざる実態のルポを通して、“新たな貧困”を見つめていく。
番組HPより

で、番組を見ながら終始、違和感のようなものを抱きながら見ていたんだけど、それと同時に、怒りにも似た憤りを感じている自分がいた。
ただ、その憤りが何から来るものなのかが、自分では今ひとつよくわからず、なんとなくもやもやしていたんだけど、下記のネット記事を読んで合点がいった。

NHKの2番組に批判殺到、なぜNHKは社会保障の問題点を批判できず、世間とズレる?

NHKの2つの番組がインターネット上などで話題になっている。
1つ目は4月27日放送のテレビ番組『NHKスペシャル 調査報告 女性たちの貧困~“新たな連鎖”の衝撃~』(NHK総合)だ。同番組は、ネットカフェで暮らす家族(母と14歳と19歳の姉妹)や、病気で収入の少ない母親を含め家族4人の生計を月8万円のアルバイト料で支える19歳の女性など、貧困状態にある女性たちの現実を明らかにした。
 生活保護問題対策全国会議事務局次長である司法書士の徳武聡子氏は、自らのブログの中で『NHKはなぜ生活保護のことを伝えないのか~NHKスペシャル「女性たちの貧困」を視て』と題し、NHKの番組づくりに疑問を呈している。
「(番組に登場した)たいていの家庭が、生活保護を利用できる(制限以下の)所得であるように思える。NHKは、なぜそういうことを伝えないのだろうか。(略)もし、最低生活費以下で生活しているのなら、本来は生活保護を利用できるはずだ。生活保護の利用に至ることなく貧困に陥っていると、少なくとも、そこまで放送しなければならないんじゃないのか」と、行政の責任についての視点が完全に抜け落ちていると指摘する。
2014年5月9日 ビジネスジャーナル

要するに、違和感や憤りを感じていたのは、番組で取材されていた彼女達の境遇に向けられたものではなく、番組の演出に対して抱いていたものだったのだ。
番組では、彼女達がいかに困窮しているかということの演出に多くの時間が割かれており、その背後関係や問題点に触れられるようなことはほとんど無いに等しかったのである。
要は、取材対象者が、まるで悲劇のヒロインかの如く見えてしまうような、視聴者の感情に訴える演出が図られており、彼女達が貧困に陥った原因や、その貧困に対してセーフティネットが機能していない点などは、ほとんど描かれることは無かったのだ。
よって、恐らく多くの視聴者は、彼女達の境遇に涙し、社会に対して憤りを覚えた一方で、自分たちの境遇に安堵し、もしくは彼女達のような境遇に陥らないように頑張ろう、というような感情以上の感想を抱くことは出来なかったのではないだろうか。
そんな訳で、貧困という社会問題を扱うには、皆様のNHKにしては、あまりに視野が狭く、お粗末な番組だったと言わざるをえない。
結局のところ、貧困に対する同情や恐怖心を視聴者に煽っていただけの番組でしかなかったのだ。

自分が、この番組を見ていて大いに疑問を感じたのは、風俗店で働くことやネットカフェでの寝泊りが、まるで現代のセーフティネットであるかのように番組上では語られていて、本来あるべき行政や地域支援によるセーフティネットの存在が、どこかへ消えたまま番組が進行していったことだ。
貧困という深刻な社会問題にも関わらず、彼女達の惨状を、さも悲劇のヒロインを扱うようなストーリー仕立てで描いていく様は、まさに、民放が視聴率欲しさにやるような低俗な演出でしかなく、果たして、公共放送であるはずのNHKが、そうまでして視聴者の感情を煽る必要があったのかは甚だ疑問である。
彼女達の惨状を映し出すことよりも、その惨状に対して、本来のセーフティネットが機能していないことのほうが、遥かに大きな問題だと番組スタッフは考えなかったのだろうか。
実際、放送の中でも、取材で取り上げられていた、ネットカフェで生活する少女の姉妹が、その後、保護施設に入所したとのテロップが付け加えられていた場面があり、恐らくは再放送の時点でなんらか事態が動いて加えられたテロップのように見受けられたものの、むしろのその経緯を含めた、セーフティネットとの関わり方にこそ、スポットが当てられてしかるべき話なのではないかと強く思った次第だ。

これは、以前にNHKが取り上げて話題になった「孤独死」の時にも感じたのだけど、センセーショナルな話題性を提供することに主眼が置かれているような番組作りが透けて見え、違和感を抱かざるをえない。
本来、その背景や問題点を追求し、解決や改善に向けた道筋や課題を示していくことが、公共放送に課せられた役割であり、まさに、公共の利益に叶う番組を作ってこそ、皆様のNHKのはずだというのに。

思うに、今回の番組での貧困問題の取り上げ方と、福島の原発事故による放射能被害の問題だったり、韓国のフェリー事故における責任問題などに、同質なものを見いだしてしまうのは自分だけだろうか?
いずれも感情的な話が先行することで、問題の本質が見過ごされてしまう様子が、どれも酷似しているとは言えないだろうか。
人々の感情や欲求によって動いていく社会ほど危険なものは無いと思う。
そういえば、どこぞの総理大臣が、押し付けられた憲法は嫌だと言って、声高に「戦後レジームの脱却」などと連呼している様など、まさに国民に対して情緒的に訴える扇動政治そのものだ。
憲法の論議に、押し付けられたかどうかなんてのは全く関係の無い話で、憲法そのものの是非について語れば済む話だ。
というか、そもそも安倍晋三が大好きな大日本帝国憲法にしても、アメリカの黒舟に脅されたことに端を発して制定された憲法な訳で、押し付けられた憲法を否定するのであれば、そもそも欧米に押し付けられて起きた明治維新、即ち日本の建国そのものを否定しなければならない話になってしまうんだけどねぇ(笑)

話が横道に逸れちゃったけど、今回のNHKの番組は、まさに客観性を欠いた扇動的な要素を孕んでいる危険な番組であったと言える。
前出のネット記事にもあったように、行政などのセーフティネットを無視した番組構成によって、我々に突きつけられるのは、自己責任、もしくは自助という救いようの無い言葉だ。
しかし貧困は、決して自己責任や自助でどうにかなる社会問題ではない。
というか、むしろ自己責任や自助ではどうしようもならないからこそ貧困が生まれるのであって、だからこそ、政治や行政などの公助による、貧困を救い貧困を生み出さない社会的なシステムが必要とされるのだ。
そもそも、世の中、自己責任や自助だけでやっていけるのなら、国家も行政も会社だって存在する必要のない話になってしまう。
そういった意味でも、公共放送が公助の視点を失った番組を作って放送した罪は重いと思う。

数年前に、民放のニュース番組やワイドショーなどで、生活保護費の不正受給や浪費している連中をやたら取り上げて、いわゆる生活保護バッシングなるものが生まれたのは記憶に新しいところ。
でもって、まさに、必死で働いている人々の感情を刺激したことは言うまでも無い。
しかし、これによって起きた事態は、本当に生活保護を必要している人々までが誹謗や中傷に晒されたり、生活保護の申請のハードルを高めてしまうなど、結果的にはセーフティネット本来の機能を損なわせるという本末転倒なものでしかなかったのだ。
今回の番組もまた、視点は違えど、それらと同質の問題を孕んでいる番組であることを、果たして、NHKの番組スタッフはどこまで理解出来ていたのだろうか。

最後に、去年、NHKのEテレで放送されていたハートネットTVという番組の内容を紹介しておきたい。

ハートネットTV シリーズ 貧困拡大社会 検証“生活保護”(2)
動き出した生活困窮者支援

= 2013年10月8日(火曜)NHK Eテレ =
大きな転機を迎えようとしている“生活保護”を、2回にわたり徹底的に検証する10月の「シリーズ貧困拡大社会」。
2回目のテーマは、「生活保護法改正案」とセットで成立が予想される「生活困窮者自立支援法」をめぐる動きについてお伝えします。
現在、日本に2千万人いるとみられる、生活保護を受けていない貧困に陥った低所得者。現在の制度では、こうした人々への公的な支援体制が不十分で、それが生活保護受給者の増加にもつながっているといわれています。
この秋の国会での審議が見込まれる「生活困窮者自立支援法」では、福祉事務所のある全国の1千あまりの自治体に、新たに総合的な相談窓口を設置し、生活相談や就労支援など、困窮者を包括的に支援する“第2のセーフティーネット”を作ることが目標とされています。
国は、平成27年の開始をめざすとしていますが、法案の成立に先駆け、早くも今年度、全国69の自治体でモデル事業がスタートし始めています。番組では、この取り組みの実例をいち早く取材。具体的にどのような支援の仕方が試みられているのかを紹介します。
その過程で、法律が出来たとしても、果たして全国一律の支援の質が確保できるのかとの指摘や、“貧困ビジネス”の温床になるのではないかとの懸念が示されるなど、さまざまな課題も明らかになってきました。前回に続き、スタジオに招いた専門家たちによる徹底討論から、困窮者支援のあるべき姿について考えていきます。
番組HPより

まさに公共放送ならではの丁寧な番組を作っていたNHKが一体どうして?
公共放送としての役割が、見失われつつあるのを感じずにはいられない。
しかも、それは、NHKの人間ですら気付かないうちに起きているのかもしれない。


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振り込め詐欺は第4の矢?

しばらく更新をサボタージュしていた間に消費税が上がってしまった(笑)
時を前後して、その消費税引き上げに関する政府広告がやたらテレビで流れていたけど、見る度にムカついて仕方が無かったね。
CM上では、社会保障の為の消費税アップを必死にアピールしていたけどデタラメもいいところ。
そもそも、消費税による増収分で社会保障に回るのは僅かな予算でしかなく、何より社会保障というのは、社会的弱者を救済する為の政治システムであるはずなのに、それを逆進性の高い消費税で補おうというのは、国家による庶民に対する圧制にしかなりえず、まさに本末転倒な話でしかない。
ましてや、税金を使ったプロパガンダで国民を騙くらかす税金の喧伝をしている訳で、もはや自虐ギャグだ。
更に言うに事欠いて、法人税の引き下げまで言い出す始末で、いやいや、それって、税収を法人税から消費税にすりかえようとしているだけの話でしょ。

安倍首相、法人税率引き下げ指示 自民党税調会長に
安倍晋三首相は16日、自民党の野田毅税制調査会長らと首相官邸で会談した。首相は「私は国際的に法人税改革を約束し、多くの人(投資家)の期待を裏切ることがないようにしないといけない」と述べ、法人税の実効税率の引き下げを検討するよう指示した。
2014年4月16日 朝日新聞デジタル

ちなみに、法人税の話になると決まって出てくる、諸外国並みの法人税にする為に税率を引き下げるべきって話なんだけど、これもまた、まやかしの論法にしか過ぎない。
というのも、本来、企業が社会的に負担する費用には、税金の他に社会保障費もある訳で、確かに法人税だけを切り取って見れば、日本の税率は決して低くはないものの、社会保障費と併せた企業負担の総額で見てみると、むしろ諸外国と比べると逆に低い水準となってしまうのだ。
つまり、諸外国と比較するのであれば、法人税だけに言及するのではなく、社会保障費も含めた企業負担で語られてこそ、意味を持つ話と言える。
即ち、安倍政権がやろうとしていることは、たださえ低い企業の社会保障費には目もくれず、法人税だけをターゲットにして税率を引き下げて企業負担を減らす一方で、消費税を引き上げて国民には負担を強いるという税制改革でしかない。
そうなってくると、社会保障の為の消費税を引き上げという宣伝文句は、もはや詐欺としか言いようの無い話となるのだ。

ついでに詐欺と言えば、相変わらず振り込め詐欺の被害が一向に止まる気配にならないけど、これも極論を言ってしまうと、日本の税制や社会保障が歪んでしまっている裏返しなのだとも言える。

そもそも日本が陥っているデフレ不況は、所得の格差が広がり、低所得者層が増大してきたことが主な要因と考えられており、即ち、これらを是正すべく、所得の移転や再分配が果たされるようになることが、不況脱出の道筋と考えるのが当たり前だ。
ところが、アベノミクスしかり消費税の引き上げしかり、安倍政権の繰り出す政策には、むしろ格差を固定化させたり、富の一極集中を招くような真逆の政策を連発する格好となっている。
社会保障制度にしても、所得格差が広がっていけば、低所得者の負担は増える一方で、そもそも社会保障サービスを必要としない高所得者の負担はますます軽くなるという、もはや誰を助けたいとしているのか判らないあべこべな社会保障制度となるのだ。
つまり、繰り返しになるけれど、景気にしても社会保障にしても、今の日本にとって一番必要なのは、格差を是正する所得の移転や再分配を機能させる政治システムの運用以外にないはずなんだけど、残念ながら、安倍首相の頭には、そんな考えは微塵も無いようだ。

って、そう!
まさに、そんな考えの微塵もないことが、振り込め詐欺が蔓延する理由なのだ。
というのも、詐欺師の連中がやっていることは、それこそ所得の移転に他ならない。
つまり、振り込め詐欺とは、資産を持つ高齢者から無職の若者への非合法な所得の移転そのものなのだ。
格差という社会の歪が大きくなればなるほど、その反動もまた大きくなっていくだけのこと。
所得格差に対する日本の政治や社会の無策が、社会性を失った持たざる者を、持つ者から直接奪う行動に駆り立てさせていると言っても過言ではない。
何をこじつけているのだ?!と思う人はよく考えてみて欲しい。
その国で多発する犯罪は、その国の社会が抱えている問題を、鏡のごとく映し出しているようなものだということを。
そんな訳で、安倍政権が続く限り、振り込め詐欺の被害が減ることはないだろう。

では、なぜ安倍政権は、そうまでして、権力や資本を持つ者に対して優遇措置を図ってその地位を強固にしていく一方で、持たざる者に対しては、一層の負担を強いる政策を繰り出そうとするのだろうか?
恐らくそれは、無力化した国民を増やすことが狙いなのではないかと想像している。
格差の増大、固定化を図ることで、多数の国民の無力化を推し進め、一部の政治家や大企業による中央集権的な国家運営を目論んでいるということだ。
そして無力化した国民が増えれば、当然、不満や社会的ストレスを抱えて生活していく人々が増えることになる訳で、その捌け口として排外主義が結びつき、加えて、そんな彼らを正当化させてくれる、安倍首相や橋下大阪市長のような強権的な政治家に迎合してしまうのが、昨今の右傾化の実態ではないかと考えている。

韓国人女性の活動を中傷…お遍路「外国人排除」の差別的貼り紙の陰湿な狙い、心ない行為に憤る地元
四国各地のお遍路休憩所などで、特定の外国人排除を訴える貼り紙が相次いで見つかっている。はがき大の紙に「『大切な遍路道』を朝鮮人の手から守りましょう」などと差別的な文章が印字され、各県などが調べたところ香川、徳島、愛媛3県の計25カ所で38枚が確認された。四国霊場では、お遍路の魅力を伝える「先達」に選ばれた韓国人女性(38)が外国人向けに道案内のシールを貼る活動をしており、貼り紙はこうした行為を中傷したものとみられるが、地元では「差別は許されない。恥ずかしい行為だ」と怒りの声が上がっている。
2014年4月24日MSN産経ニュース

例えば、上記ニュースに関するネットでの反応なんかがそうだったように、排外主義で溢れかえりとても見れたものではなかった。
それこそヤフーなんかのニュースのコメント欄や果ては知恵袋など、レイシスト達が集うサイトかと見まごう程の有様だったりで、あまりに野放図なヤフーの企業倫理に疑問を感じるのと同時に、もはや呆れるしか他ない低俗なものとなっている。

しかしながら、彼らの主張の多くに見られるような、例えば、韓国や中国の存在を日本の社会から排除出来たとして、果たして、そこに彼らが望むユートピアなぞ実現するのだろうか?
どう考えても、そうは思えない。
彼らは、ただ単に批判や中傷のターゲットを探し求めていることでしかなく、次の標的が見つかれば、そっちに一斉に向かっていくだけの話で、彼らの言説に的外れなもの感じずにはいられない。

そう、今の日本が抱えている社会問題は、どれも的外れなものばかりなのだ。
つまりそれは、社会が抱える歪や矛盾を、誤魔化すことで、なんとかやり過ごそうとしているようにしか思えない。

・餓死者を生む社会保障制度。
・逆進性の高い税収で賄うとする社会保障費。
・株価が上がっても景気を実感出来ない経済。
・社会的弱者を生み出す権力に迎合する弱者達。
・お遍路のおもてなし文化を否定するナショナリスト。
・東京オリンピックの特需で後回しにされる震災復興。
・少子化が進む一方で増え続ける待機児童。
・女性の社会進出を掲げる男性優位の政界。
・靖国神社で平和や不戦を誓う政治家。
・近隣の貿易国と外交が築けない政府。
・原発事故が未解決のまま推し進められる原発政策。

等々...

とまぁ、上げればキリが無い程の歪や矛盾を抱えている今の日本社会。
でも、これらは全部、権力者と呼ばれる連中が、勝手に作り出しているものばかりなんだよなぁ。
こっちの方が、よっぽど反日的なんですけど...(爆)

真面目な話、社会や個人が抱える様々な歪や矛盾と向き合って、それを解決しようと努力していくことは、とても面倒で辛い作業だ。
ついつい、気を紛らわせてくれたり、心地よいものに目が奪われて、解決を後回しにしたり、本題から目を逸らしたくなるのも、仕方がないことなのかもしれない。
が、しかし、そうしている間にも、歪や矛盾はどんどん大きく広がっていくのだ。
そして、広がり続ける歪は、そのエネルギーを貯め続け、限界に達した時に、まるで大地震のように、我々の生活や社会に大きな反動となって跳ね返ってくるのである。
その昔、大地震によって日本列島が沈んでしまう「日本沈没」という映画にもなった有名なベストセラー小説があったけど、このまま行けば、いつかそれが現実のものとなるように思えて仕方が無い。
ただしそれは、大地震によって引き起こされるのではなく、我々自身の手によって引き起こされるのだ。


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ロシアと日本を繋ぐもの

NHK BS1で深夜放送されている「世界のドキュメンタリー」という文字通り、世界各国で制作されたドキュメンタリー番組を放送している枠で、先週、ソチオリンピックに関連してロシアに関する特集シリーズをやっていて、その中の「モスクワ パンクバンドの反乱.」というイギリスで制作されたドキュメンタリー番組を見た。

モスクワ パンクバンドの反乱
公共の場でゲリラ的パフォーマンスを行い、反プーチンを訴えて逮捕されたモスクワの女性パンクロックバンド、“プッシー・ライオット”。世界中のメディアが注目した裁判の経過を取材し、現代ロシアで闘う女性集団を追う。サンダンス映画祭審査員特別賞受賞作品。 プーチン氏が、再びロシア大統領に着任した2011年8月。カラフルな覆面を被った若い女性のパンクバンド、プッシー・ライオットが結成された。彼女たちはフェミニストのアート集団。“独裁者”だとしてプーチン氏への批判や女性の解放を歌にして、モスクワ赤の広場などで活動していた。しかし、パンクロックや前衛的なパフォーマンスになじみが薄いロシアで、一般の人の理解を得ることは難しかった。 2012年2月、ある寺院で行われたわずか40秒間のゲリラライブが厳格なロシア正教の僧侶たちの怒りを買い、ナディア、マーシャ、カティアの3名が逮捕されてしまう。メンバーは不法侵入と秩序を乱した罪に問われるが、覆面を脱いだ彼女たちはロシア正教のプーチン支持に対する平和的な抗議を行ったのだと主張する。 拘束が長引くほど、権利と自由を訴える美しき女性たちに賛同する人々は増えるばかり。果たして裁判の結末は―? 独占インタビューと実際の裁判映像を交え、アートで社会を変えようとするフェミニストたちを取り上げた。
NHK番組HPより

マドンナが釈放を求めるコメントを発したり、世界的なニュースにもなっていたので、このバンドの存在は知っていたんだけど、それはロシア当局に逮捕されたからであって、実は、この番組では、逮捕される前から彼女達をちゃんと取材していて、その一部始終を今回、見ることができ、中々に興味深かった。
ちなみに、逮捕容疑は、モスクワの大聖堂でゲリラライブを行った「フーリガン行為」によるものらしいのだが、番組内では、その当時、聖堂内にいた人達に対して、ライブ行為で、妨害や危害を働いたとするニュアンスで伝えられていた。
で、結果、懲役2年の有罪判決が下されたのだけど、その後、控訴審でメンバーの一人が執行猶予処分になり、残り二人のメンバーは、オリンピック絡みとされる恩赦によって去年釈放となっている。



まぁ、主張は理解できるとしても、音楽的にも、そして、そのパフォーマンス自体も、あまりに時代遅れな感じがして、個人的には彼女達にさほど共感を覚える事はなかったのだが、それって、ただ単に民主化を含めて、色んな意味でまだまだロシアが時代遅れだからということなのか、それとも、あえて70年代パンク的なアプローチを試みているからなのかがよく判らず、その点だけは妙に気になってしまった(笑)
とはいえ、宗教施設でゲリラライブをやっただけで、2年の懲役を喰らってしまうんだから、やはり時代遅れの国としか言いようが無いことだけは確かだろう。
しかも、彼女達の公判には、何台ものテレビカメラとか、色んなメディアが入り乱れた騒然とした中で行われていて、被告の人権などお構いなしのさらし者の様相を呈していた一方で、逆にある意味、思いっきり開かれた裁判にもなっているという、なんかえらい混沌とした世界になっていて、まさにおそロシアそのもといった感じがした(笑)

正直、彼女達の主張にあるような不当逮捕とまでは言えないパフォーマンスだったと思うけど、プーチンの強権的な政治姿勢しかり、ロシア正教との蜜月ぶりなんかを見るにつけ、やはり、ロシアは本質的には反民主的な国家なんだなぁと改めて感じた次第。
その一方で、経済国としてグローバリズムの流れに乗っかろうともしている訳で、封建的な社会とグローバリズムがもたらす多様性との間で、ねじれまくった社会の歪を生じさせているのが、今のロシアなのだろうと想像してみた。
そういった意味では、プッシー・ライオットの出現は、今のロシア社会にとって必然的なことではあるのだろうけど、いかんせん70年代パンクのような、単なるアンチテーゼによる表現方法だけでは、社会の「歪」を訴える事は出来ても、「ねじれ」を訴えるところまでは、なかなか辿り着けないのではなかろうかとも思ってみた。

今の日本もそうだけど、例えば反政府や反体制を訴えていれば、共感を得られるほど単純な世の中ではない。
社会構造が複雑化し、様々な利害が絡み合う世の中で、皆それぞれに生きていたりする訳で、共通認識を見出すことが、難しくなってきていると言えるのではないだろうか。
かといって、特定のテーマや、細かいメッセージを表現してみたところで、多くの共感を得るのも難しいだろうし...
う~ん、表現者にとっては、伝えてたいことはあっても伝わらない、ある意味、もどかしい時代なのかもしれない。
そんな訳で、プッシー・ライオットに、パンクが形骸化してしまった妙な虚しさを感じずにはいられなかった。
ただしその一方で、彼女達の活動がネットを通じて世界各国に広がり、多くの支持を得るという、別のねじれ現象も引き起こしている訳で、尚且つそれがメンバーの恩赦にも繋がるという妙な因果関係を生み出している辺りは、今の時代ならではと言えそうだ。

そんなこんなで、歪まくって、ねじれまくっているロシアだけに、オリンピックを無事に終えることが出来るのか、かなり心配。
ゲリラライブなんて可愛いもんで、どこぞで爆弾がいつ爆発しても、おかしくはない状況なのだ。
でもって、それを権力で封じ込めようとすれば、ロシア政権に対する不満のガスも充満していく訳で、歪もねじれも益々大きくなっていくことだろう。

で、今回のロシアに関する一連のドキュメンタリー特集を見ていて感じたのは、決して海の向こうの出来事だとは思えなかったということ。
保守色を全面に押し出して強権的な政治を行ったり、宗教を政治利用してみたり...
って、どこぞの島国の総理大臣が、同じことをやっているじゃあ~りませんか!(爆)
なんか、ロシアとやたら外交関係を築いているのも、意気投合しちゃってるからなの?(笑)
そういえば、人権問題で欧米諸国の首脳がオリンピックの開会式を相次いで欠席する中、件の総理大臣は、自(国)家用ジェットで極東からプーチンに会いにソチまで駆けつけるらしい。
まさに、ボク達似たもの同士、人権なんて糞喰らえ!
美しい国、美しいボディを築いているプーチンさんは、ワタクチの憧れです!
ってか(笑)

つまりは、今のロシアの姿は、これからの日本の姿でもあるってことだ。
とはいえ、あちらは民主化が遅れている国で、こちらは民主化から逆行している国な訳で、似た国同士でも、風向きはえらい違い(笑)
そんな訳で、頭のネジが外れた人達のお陰で、ジャーナリスティックなドキュメンタリー番組がNHKで見られなくなるのも時間の問題だろう(爆)
それこそ、東京オリンピックが開かれる頃には、一体、日本の世の中はどうなっているのだろうか?
果たして、日本版プッシーライオットは現れているのだろうか?
今回の冬季オリンピックは、そんな複雑な思いを抱きながらの、テレビ観戦と相成りそうだ。

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右に参りま~す(自虐への道)

「日中は大戦前の…」発言報道、首相真意説明へ
 菅官房長官は24日午前の記者会見で、安倍首相が日中関係を第1次世界大戦前の英国とドイツの関係と「似た状況だ」と発言したと英国メディアなどが伝えた問題について、「外交ルートを通じて首相の真意をしっかりと説明する」と述べた。
2014年1月24日 読売新聞

必死に弁明しているのが、なんとも情け無いねぇ(笑)
確かに、文脈だけを見れば、英メディアに言葉尻を捉えられて拡大解釈をされた感は否めない。
だがしかし、なぜこのような解釈を海外メディアにされてしまうのかがポイントであるということが、安倍首相のおつむでは理解できていないようだね(笑)
でもって、その理由は極めてシンプルな話で、第二次安倍政権が樹立して以降、欧米のメディアは、安倍首相を「歴史修正主義者」とみなしているに他ならないからだ。
特に、昨年末の靖国参拝が、その認識を更に決定的なものにしたと言っても過言ではない。
加えて、第一次世界大戦の当事国からすれば、過剰に反応するのも、そら当然の話。
まさに、安倍首相の発言は、第三者を相手に対した際の想像力が欠落しているとしか言いようがない。
つまりは、自分の言葉が、相手にどのように伝わるかを理解することができない人間が日本の総理大臣であることを、わざわざ国際的な場で露呈したに過ぎないのだ(笑)
欧米の人々からすれば、安倍首相は、欧米が作ってきた第二次世界大戦以降の歴史を否定するだけなく、中国を無駄に刺激し、欧米が望む秩序を乱そうとする、極めて危険な人物であるという認識を一層強めたに間違いない。
これって、右派の大好きな「日本の国益」を損なう行為そのものだと思うんだけど、それで構わないのかねぇ(爆)

そんな、安倍首相の愚行が冷めやらぬうちに、火に油を注ぐ援軍が登場した!(笑)

慰安婦「戦争国ならどこにもあった」=籾井NHK会長
  NHKの籾井勝人会長は25日の就任記者会見で、旧日本軍の従軍慰安婦問題について、「日本だけがやってたようなことを言われる。戦争しているどこの国にもあった」と述べた。籾井会長は独、仏などの国名を挙げた上で「欧州はどこだってあったでしょう」と発言した。
さらに、個人的見解であるとして「韓国が、日本だけが強制連行したみたいなことを言ってるから話がややこしい。(補償問題などは)日韓条約で解決している。それをなぜ蒸し返されるのか」と指摘した。
2014年1月25日 時事ドットコム

NHKを自分の支配下に置くという安倍首相の悲願成就に向けて、着々とお友達人事を行ってきている訳なんだけど、そのお礼とばかりに、就任会見の場で新会長がいきなりやらかしてくれた(笑)
しかし、毎度思うのだけど、どうしてこうも、極右思想が好きな連中ってのは、脊髄反射というか、脳ミソが筋肉で出来ているような発言しかできないのだろう?(笑)
籾井新会長というお方は、国営放送と公共放送の違いすら、まったく理解出来ていないのではないだろうか。
彼が向いていなければならないのは、安倍首相にではなく視聴者の方なんだけどねぇ。
それとも、まさかのネットメディアに進出する為のネトウヨ相手へのリップサービスだったりして?(笑)

冗談はさておき、本来、安倍首相の期待に応えようとするならば、視聴者に気付かれないように、徐々に右傾化へと偏向させていくべきところなんだろうけど、わざわざ無用なご高説を披露したお陰で、むしろより公共性を担保しなければならない立場に自らを追い込んでしまった訳で、わざわざ墓穴を掘った格好となっている(笑)
ちなみに、その一方で、NHKの経営委員で安倍首相のお友達でもある作家の百田尚樹が、東京都知事選で田母神候補を全面的に応援している問題も起きていたりで、本来ならこちらについても批判があってしかるべきなんだけど、結果的に、新会長の騒動の影に隠れてしまっているのが、なんだかなぁという感じだ。
いずれにしろ、安倍サマのNHKは、果たしてどこまで実現するのか、お手並み拝見といったところだ。


そんな訳で、日本の右傾化の流れが着実に加速しつつある今日この頃。
それを後押しするように、安倍首相や籾井会長のような極右的な発言に関して「よくぞ言った!」というような賞賛の声がネットを中心に着実に広がりを見せている。
が、しかし、客観的に見れば、安倍首相や籾井会長らの行動や言動は、結局のところ自らの立場を苦しくしたに過ぎない。
そもそも、相手の立場や考えを無視して「言うべきことを言う」ことだけをしようとすれば、更なる無理解を招いて、相手に反感や不信感を与えるだけで、むしろ自らの立場をより悪化させていくという、コミュニケーションとしては、実に当たり前の話でしかないのだ。
逆に言えば、立場の異なる相手とは、なんらコミュニケーションを築くことが出来ないとも言える訳で、即ち、安倍首相を見ても、政治家として、もとい総理大臣として一番重要とも言える対話能力や利害調整能力がまったく備わっていないとしか言いようがないんだよね。
安倍政権の中身を見れば一目瞭然なんだけど、お友達やイエスマンで政権や周囲を固め、日本を受け入れてくれる国とだけしか外交関係が築けていないなど、判りやすいほどにそれを証明してくれている。
一方で、秘密指定保護法案の強行採決しかり、果ては日本軍の創設を目論むなど、力や権力に頼った政策にやたら拘るのも、自分の意に沿わない相手に対しては、力や権力の行使によって従わせることしか思いつかない、安倍首相のさもしい本性がよく表れているからなのではないだろうか。
そら、帝国主義を掲げて富国強兵に務め、軍事国家となっていった当時の大日本帝国に、ユートピアを見るのも当然の話だわな(笑)

ただし、いつも疑問に思うのは、極右思想に傾倒する人々は、安倍首相がそうであるように、心から日本の帝国主義化を望んでいるということなのだろうか?
彼等が、ビビッドに反応する「従軍慰安婦」「靖国参拝」「南京虐殺」などの論争で沸き起こっている日中韓の応酬は、枝葉のやりとりでしかなく、本質からかけ離れた論争にしか過ぎない。
帝国主義の下で日本軍や日本人が人間の尊厳や人権を蔑ろにして行った行為そのもが問われているのであって、やれ他国でもやってただとか、英霊に祈りを捧げるとか、数万人だとかの仔細な話は、まったく意味を持たないんだけどねぇ。
即ち、帝国主義を肯定するのか否定するかの話でしかないということ。

第二次世界大戦の戦いは、民主主義と帝国主義との戦いだったとも言える訳で、その結果、帝国主義国家は破れ、独裁者は葬られたのだ(日本の天皇は無力化された)。
したがって、日本側が行う枝葉の議論の前提には、帝国主義を否定した上での論理を展開していかなければ、欧米や関係国の理解を得る事はできないだろう。
しかし、残念ながら、安倍首相にしろ籾井会長にしろ、そういった観点がごっそり抜け落ちているが為に、帝国主義を正当化したいとする思惑が透けて見え、逆に非難を呼びこしているのが現状なのだ。
まさに、自虐史を否定する発言や行動が、自らを窮地に追い込む自虐行為となっているのは、もはや滑稽としか言いようがない(笑)
安倍首相が自らを信じる道を進めば進むほど、日本は世界からの信用を失い孤立していくことになるのだ。

そんな訳で最近は、どうせ右傾化の流れが止まらないのであれば、いっそ安倍首相のやりたいようにしてくれればと思うようになってきた(笑)
そうすれば、中国や韓国はもとより、欧米のからも愛想を尽かされ、安倍政権はあっという間に崩壊の道を辿ることになるだろう。
TPP交渉も頓挫して貿易赤字は悪化の一途を辿り、再分配機能が伴わない景気政策によってアベノミクスの魔法も瞬く間に解けてしまうに違いない。
当然、中韓との首脳会談など開かれる訳も無く、むしろ関係悪化の道を突き進み、それこそ戦争をちらつかせて政権維持を図ろうとする可能性だってあるかもしれない。
が、しかし、もはや国内外の支持を失い、裸の王様状態となった安倍首相に、果たして道は残されているのだろうか?

う~ん。
結構、なんだか現実味がありそうな話だなぁ...(爆)
まぁ、そうなった場合は、当然、国民にとっても多大な犠牲を払う形になる訳なんだけど、もはや、日本が民主主義国家として再生するには、こんなシナリオしか思いつかない所まで来ているのではないだろうか。
でも、実際そうなりそうだったら、安倍首相の暴走を、天皇陛下が身を以って止めに入るなんて、天地がひっくり返りそうなことが起きる...かも?(笑)
が、しかし、それを阻止するのはNHKだった...なんてことも(爆)

NHK、天皇陛下の「お言葉」を恣意的に一部カットして報道~蜜月・安倍政権への“配慮”
昨年12月23日。この日、天皇陛下は80歳の傘寿を迎え、天皇の「お言葉」がマスコミに配布された。「お言葉」は同日各メディアによっていっせいに報じられたが、重要部分を“意図的に”カットしたメディアがあった。それが公共放送局のNHKだ。
 「重要部分とは、ずばり天皇陛下が語った護憲とも取れる部分です。朝日新聞や毎日新聞はこの部分をしっかりと掲載しましたが、読売新聞はかなり意図的に端折って要約していた。問題はNHKが、この部分の一切を削除していたことです」(大手紙宮内庁記者)
 削除された天皇の「お言葉」の該当部分は以下のようなくだりだ。
 「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」
 現状の平和と民主主義、そして憲法を「守るべき大切なもの」とした護憲発言であり、さらには憲法を作った主語を「日本」とし「知日派の米国人の協力も忘れてはならない」と加えるなど、「連合国からの押しつけ憲法論」への反論ともとれる発言だった。しかし、NHKはこの部分だけをカットし、一切報じることはなかったのだ。
2014年1月23日 ビジネスジャーナル

ちなみに、日本がボロボロにされるのもなんなので、極右政治のお試し期間として、ここはひとつ田母神元航空幕僚長に都知事になってもらうというのは、いかがだろうか(笑)
安倍首相に一番近い人物を自認しているだけに、国家の行く末を占うサンプルとしては、まさにうってつけ。
極右政治による都政でもって、果たして、東京都がユートピアとなるのか、それともあっという間に崩壊してしまうのか、東京都を使った壮大な実験にチャレンジしてみるのも面白いのでは?!(笑)
ってまぁ、田母神都政で東京都がどうなってしまうのかは、火を見るより明らかだとは思うけど、なぁに、東京都が潰れたところで、むしろ地方都市の活性化に繋がりそうだし、何より極右政治のあられもない姿を全国民に披露する、いい機会になるでしょ(笑)

なんて、もはや自虐的に考えることしか思いつかない、なんちゃって都民の今日この頃なのでした(笑)


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安倍こべな靖国参拝

前回、特定秘密保護法案の件でも書いたけど、何を今さら大騒ぎしているのかと思う。
衆参の過半数を得た時点で、安倍首相の思い描く「美しい国」までへのフリーパスを与えたも同然な訳で、この先も、民主主義を屁とも思わない、政治や政策を推し進めていくであろう。
そんな訳で、いっその事、ここまで来たら、安倍首相には益々の暴走を働いていただいて、思いっきり右に傾かせて日本丸を沈めてもらってみてはどうだろうか(笑)
その時に、「靖国で会おう!」と言って、海底に沈んでいく愛国精神溢れる乗組員達は果たしてどのくらいいるのかな?
まぁ、仮にそうなったとしても、真っ先に救命ボートで逃げ出すのは安倍船長のはずなんだけどね(笑)

そんな訳で、改めて言うほどの事でも無いんだけど、当ブログをご覧になられる酔狂な参拝支持者もいらっしゃるかもしれないので、あえて言わせていただくと、靖国神社ってのは、戦前の国家神道に基づく軍国主義の象徴でしかないということ。
いわば新興宗教のようなもので、天皇を神と崇め奉り、戦死しても靖国神社で祀られることが栄誉となるよう、大儀を掲げて戦争を美化することで、善良な市民を戦地へと送り続ける兵士大量生産装置の役割を果たしていたに過ぎない。
まさに、戦争の悲劇を生んだ神風特攻隊のメンタリティも、ここ靖国神社から生み出されたものだ。
そう考えると、大儀だけで見れば、アルカイダがテロ行為の際に用いるジハード(聖戦)とたいして変わりはないと言える。
それらを踏まえると、安倍首相の靖国参拝を支持するという事は、民主主義を否定し、戦前の軍国主義を支持するようなもんで、即ち、韓国や中国の反応以前の話であるということを、参拝支持者は是非自覚してもらいたいところだね。

安倍首相発言全文=靖国神社参拝
2013年12月26日 時事ドットコム

なんだか回りくどいことばっかり言ってる(笑)
やっていることと言っていることが、てんでバラバラなんですけど...
それこそ、靖国神社への誤解を解いてしまうと、尚更、安倍首相の極右思想が浮かび上がることになっちゃうぞ。
いっその事、正直に、軍事国家の独裁者になれるようにお願いしてきました!とでも言ってしまえばいいのに(笑)
まぁ、100歩譲って英霊を慰霊したのだとしても、間違っても平和を祈るような場所では断じて無いので、あしからず。
でもって、戦死者を慰霊するのならば、誰(天皇)もが訪れることが出来る国営の慰霊施設を作ればそれで済む話のはずなんだけどねぇ。
実際、民主党政権時代にその構想があったはずなんだけど、いつの間にやら立ち消えになってしまったのが悔やまれる。
要は、未だ靖国神社に拘る人々が、日本には多く存在するという事なのだろうね。

考えるに、戦争指導者に所縁のある人々や戦没者の遺族からしてみれば、靖国神社が否定されるという事は、故人をも否定されることになりかねない訳で、国家元首の参拝に拠り所を求めたいとする気持ちも、彼らの立場からしたらわからなくもない。
しかし、仮にそうだとしても、それはあまりに一面的な考え方であると同時に、戦争の正当化や美化に繋がっていく事は、残念がら否定はできないのだ。
ついでに付け加えておくと、故人や遺族の中には、逆に靖国神社に祀られたくないと考える人々も当然いる訳なんだけど、靖国神社側は、そんな彼らの意向など無視して勝手に合祀を行っているのだ。
このような靖国神社の極めて独善的な宗教観は、近代社会における宗教の理解を超えていると言わざるをえない。
つまり、戦前の軍国主義時代を象徴する宗教施設が、現代の民主主義国家において、今尚、存在しうる事自体が異常なのだ。

結局のところ、靖国神社が今も存在し続けているということは、先の戦争責任が曖昧にされたまま、今に至っているということに他ならない。
即ち、戦争を正当化したい思惑が生き残り続けているのだ。
もし本当に、戦争の犠牲者を国家として慰霊するのであれば、専用の施設を用いることで充分な訳で、靖国神社に拘る理由などどこにもない。
にも関わらず、国家元首として靖国神社の参拝に拘っているのだとしたら、それは過去の歴史を美化し、戦前回帰に拘るも同然と見られても仕方のない話なのだ。
いくら、平和国家だ民主主義だと取り繕ったところで、整合性を欠いた行為と発言は、むしろ周囲の不信感を募らせるだけでしかない。
外交的に見ても、中韓は当然の事ながら、アメリカ様も怒らせてしまった訳で、このままいくと日本は国際的な孤立を高めていくことになるだろう。
ちなみに、相手が不快に思うことをしないのも、日本の道徳のひとつじゃありませんでしたっけ?
安倍首相には、道徳心が足りていないようですな(笑)
是非とも、学校で道徳の授業を受けてきてもらいたいもんだね。

そんな訳で、東アジアでの政治的な信頼回復の芽を首相自ら摘んでしまっただけでなく、勢い余ってアメリカ様の不評を買ってしまったのは、安倍政権にとっては、かなりの痛手となりそうな予感。
たださえ日本人ってのは国際社会では理解されづらいのに、オバマ政権に不信を抱かせたとしたのならば、そう簡単には改善出来る見込みはないだろうね。
しばらくはドライな関係を迫られそうだけど、大丈夫?
アベノミクスどころの話じゃなくなって、下手すりゃ、政権の致命傷になるかもよ。

そんな訳で、もはや国営の慰霊施設を作ることが、有効な打開策になるかもやしれず、靖国参拝を強行したことが、反って安倍首相にとっては皮肉な展開を呼び込むことになるのかもしれない?(笑)


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国家主義と新自由主義のはざまでブラック化する日本

先日、特定秘密保護法案が可決したのはご存知の通り。
法案の中身については、随所で様々な批判もあり、当ブログで改めて言及するまでもないだろう。
むしろそれよりも、遅きに失したマスコミの反論や反対運動に呆れてしまったのが正直なところだ。
何を、今頃になって反対の声を上げているのか正直理解に苦しむ。
安倍政権が誕生し、衆参で過半数を確保した時点で、このような事態が訪れることは自明の理だったはずな訳で、少なくとも、安倍自民党に1票を投じていながら特定秘密保護法案に反対しているような輩には、恥を知れ!と言わせていただきたい(笑)

安倍首相の政治姿勢の根底にあるのは強烈な国家主義だ。
判りやすく言えば、国民の為に国家が存在しているのではなく、国家の為に国民が存在しているという考え方であり、要するに、支配者や権力者の言うことに国民は黙って従ってさえいればよいと考えているのだ。
恐らく、彼の心の中では、国民主権や民主主義なぞ糞くらえだと思っているに違いないだろう(笑)

そういった意味でも、特定秘密保護法は国民の知る権利を一方的に制限することで国益が守られるという妄想に基づいた、まさに国家主義思想が色濃く反映された法案だと言える。
当ブログからすれば、国民の知る権利が奪われることの方がよっぽど国益が損われると思うのだけど、安倍首相は、そういう風には一切考えられないようだ(笑)

建前上は公務員の機密漏洩を防ぐ法案となってはいるが、秘密情報の規定も国家次第、漏洩に該当するかどうかも国家次第、即ち、国家が恣意的に用いることが出来る法案でしかなく、国民の権利も保障されていなければ、なんら国民に利益がもたらされることもない、安倍政権にとっては誠に都合の良い(曖昧な表現が盛りだくさん!)法案なのだ。
ましてや、急いで法案を通す理由など国民の立場からすれば、どこにも見当たらないにも関わらず、強引な国会運営でもって成立を成し遂げる辺り、まさに安倍首相の本性を見る思いがした。

例えば、アベノミクスにしても、景気の浮揚策として未だもてはやされてはいるが、我々にとって一番肝心な庶民の給与の引き上げは企業頼みとなっている。
つまり、アベノミクスとは、企業が直接潤う政策となっているだけで、国民が潤う保障はどこにも無いのだ。
更に、これに輪をかけて酷かったのは、結局、見送りとなったものの、解雇特区なる雇用規制の緩和を企てたことだ。
一見、新自由主義的な政策のようにも思えるが、解雇をしやすくするのならば、それと同時に雇用を促進する政策がセットでなければ意味が無い。
本来の目的は労働体系の自由化であるはずが、国民や労働者にだけリスクが与えられ企業にはリスクが伴わない、極めて一方的な規制緩和政策でしかないのだ。

そもそも、新自由主義的な政策とは、減税や規制緩和を行って自由競争を促し、社会生活に国家の介入を最小限に留める小さな政府を志向することである。
ところが、安倍政権がやろうとしていることは、法人税を引き下げるなど大企業や投資家を優遇し、その代わりに消費税を引き上げて国民に増税の負担を強い、あげく公共事業を復活しようとするなど、自由競争とは程遠い、既得権者の都合の良いところだけ新自由主義的な、ハチャメチャな政策ばかりなのだ(笑)

これらのことから見えてくるのは、弱者を食いもにして強者を太らせ、己の権力をより強固なものにしようとする安倍首相の政治姿勢だ(笑)
つまり、安倍政権の本質とは、国民の権利を制限することで国民を無力化し、特定の意思決定機関だけで国家の運営を進めようとする、まさに国家主義そのものなのだ。

あれ?
これって、まるで中国や北朝鮮の国家体制そのものじゃあ~りませんか!(笑)

まさに彼の国を見習えとばかりに、道徳の教科化による思想統制、NHKを管理下に置く言論統制、安倍総理の目論む「美しい日本」化は着々と進んでいるのである。

何故も多くの人々は、この様な人間に国政を託そうと思えるのか不思議でならない。
個人の権利を差し出してまで国家が繁栄することを本当に望んでいるのだろうか?
政治家の言動や政策に一喜一憂するだけで、その真意や本質を、あまりに見落としているのではないだろうか。
思うに、猪瀬東京都知事の権力欲や小泉元首相の商売っ気など、何も今に始まった話では無いはずなんだけどねぇ。
そんな訳で、今の日本は、国民がブラック国家の誕生を、わざわざ望んでいるようにしか思えない。
でもね、そんな国で、どんなに一生懸命働いたって、出世することも無ければ、給料が上がることも無いんだけどなぁ...(笑)

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政治利用の愚

政権に返り咲いてからというもの、安倍総理の政治利用と思しき発言や行動がやたら目に付いて仕方が無い。
長嶋、松井両元プロ野球選手を利用して読売グループに恩を売った、噴飯ものの国民栄誉賞の授与が最たる例だが、最近でも、救命行動によって起きた踏み切り事故の犠牲者に感謝状を贈るなど、政治とは直接関係の無い国民受けを狙った節操の無い政治パフォーマンスが続いている。

更に厄介なのは、皇室の政治利用だ。
安倍総理の肝いりで行われることになった主権回復の式典では天皇皇后両陛下を、そして、オリンピックの招致活動でも皇族を使い、伊勢神宮の式年遷宮の儀式では、私人と称して自ら参列するなど、もはや政教分離を無視した皇室や神事の政治利用も連発して行っている。
それこそ、東アジアからの反発はおろか、身内の宮内庁からもクレームが入る始末だ(笑)

加えてもうひとつ、政治利用に関連して、当ブログで無視する訳にはいかない発言が安倍総理の口から飛び出している。
それは、先月末にニューヨーク証券取引所を訪れた際に行われたスピーチだ。
その一部を引用してみる。

ゴードン・ゲッコー風に申し上げれば、世界経済回復のためには、3語で十分です。
「Buy my Abenomics」
ウォール街の皆様は、常に世界の半歩先を行く。ですから、今がチャンスです。
先日、サンクトペテルブルグで、オバマ大統領からエールをもらい、その後23時間かけてブエノスアイレスに飛びました。その結果、2020年のオリンピック・パラリンピックが、東京で開催されることとなりました。
49年前の東京オリンピックは、日本に高度成長時代をもたらしました。日本は、再び、7年後に向けて、大いなる高揚感の中にあります。あたかもそれは、ヤンキースタジアムにメタリカの「Enter Sandman」が鳴り響くがごとくです。もう結果は明らかです。
偉大なるクローザー、リベラ投手の長年の活躍に最大の敬意を表しつつ、私のスピーチをおわりたいと思います。


でもって、このスピーチに関しては、既にネットメディアを中心に様々な突っ込みが起きている。


「バイ・マイ・アベノミクス」 安倍首相、強気の演説 米紙の評価は?
【やり過ぎとの感想も】
首相はNYSEで、日本の技術力や成長戦略を語り、「Buy my Abenomics」(アベノミクスは『買い』だ)と述べて、積極的な投資を呼びかけた。
これは、1987年の映画「ウォール街」に登場するセリフのアレンジだ。実際、首相は、ゴードン・ゲッコー(映画の主人公)が金融界にカムバックしたときにように、「Iapan is back」(日本が帰ってきた)とも述べている。ただしゴードン・ゲッコーは、最後にインサイダー取引で逮捕される。日本経済をそれになぞらえたことは、菅官房長官が釈明に及ぶ事態を招いた。
首相は、翌26日の引退を目前にしたヤンキースのリベラ投手を引き合いに出し、「彼のカットボールのように、日本が本来持つ潜在力を発揮すれば、復活できる」と、日本経済の力強い回復をアピールした。
さらに、2020年東京オリンピックへの期待を、同投手がハードロックバンド「メタリカ」の「エンター・サンドマン」を入場曲に、観客から熱狂的に迎えられる様子に喩えた。
2013年9月30日 NewSphere


まぁ、当ブログとしては、まさか、安倍総理の口から当ブログ名の所以でもある「メタリカ」の名が飛び出したことに反応しない訳にはいかない(笑)

反体制色が濃いオリバーストーン監督によって、ウォール街の拝金主義者として描かれているゲッコーの言葉を引用して、アベノミクスを自ら喧伝したかと思えば、これまた音楽業界内でも極めて権利意識の強いメタリカの曲でもって、スピーチを締めくくるとは、世界の金融関係者を前にして、これ以上滑稽な話はないだろう。
決してユーモアやジョークなどではなく、皮肉や風刺だと受け取られても仕方の無いスピーチなのだ。
即ち、安倍総理はウォール街という映画を見たことも無ければ、オリバーストーン監督が、どういった人物なのかも知りもせず、ご満悦でスピーチを行った可能性が極めて高い。
もちろん、メタリカがどういったアーティストなのか知るはずも無かろう。

一説には官邸お抱えのライターによって書かれたものとされているようだが、そんな事は関係無い。
首相が公の場で口にした途端、それは総理自身の言葉となるのだ。
即ち、安倍総理は、己の無知、無教養を全世界にアピールしただけでなく、無責任なスピーチを全世界に披露したことになりえるのだ。
野党の皆さんには、是非とも、今度の国会で、このスピーチの真意を問いただしてもらいたいところだね(笑)

しかし、こうやって並べて見てみると、安倍総理はいかにポピュリストの政治家になろうとしているのかがよく判る。
大衆受けを狙った発言を繰り返し、著名人や皇室を利用して自らの権力を高めようとするなど、まさにやりたい放題。
しかしながら、そういった無責任かつ他人の人気にあやかった稚拙な政治パフォーマンスは、いずれ綻びを晒すこととなり、我が身に跳ね返ってくることになるだろう。
ただし、その責を追うのは、安倍総理個人ではなく、我々国民であるということを忘れてはならない。

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ご臨終日本

個人的な体調不良もあって、随分ご無沙汰してしまった。
その間、参議院選での自民圧勝や原発汚染水問題に2020年の東京オリンピック決定など、日々悪化していく日本の社会情勢に対する自身の無力感も手伝って、尚更キーボードを打つ手が遠のいてしまったというのが正直なところ。
せいぜい社民党の福島瑞穂が党首を辞めたことぐらいが明るい話題ではあったけど、そんなもの焼け石に瑞穂...もとい水でしかない(笑)
今の日本社会は、様々な制度疲労によって問題が引き起こされているにも関わらず、看板を付け替えて問題を先送りしているようなもんで、その様は、まるで雪だるま式に借金を積み重ねていくサラ金地獄とまるで一緒だ。
このまま行けば、それこそ国民皆で首を吊るしかない時がいずれ訪れることになるって話なのに、オリンピックの決定でさえ、いとも簡単に浮かれることが出来てしまうとは、もはやこの国につける薬は無いのだろうか。

金の亡者たる経済界とご都合主義の政界が、自らの欲の赴くまま国民生活を食い物にしているにも関わらず、我々は、そんな彼らにせっせと餌を与えていることに、いい加減気付いてよさそうなものなんだけど...
ブラック企業がなぜこれだけ蔓延するようになったのか、こういった企業を生み出してしまうメカニズムは、実は我々の社会の中にあるということを忘れちゃいけない。

そんな訳で、正直、単なる一個人のブログでどうにもなるものでもなく、無力感が日に日に増している今日この頃。
第三国の経済成長を前に、この先、人口が減少していく中で、日本経済が右肩上がりになることなんか決して無く、つまり、それは、今までの国家モデルが通用しなくなることを意味しており、新たな国家モデルを再構築する以外に道は無いということなんだけどね。
かつての太平洋戦争の敗戦がそうだったように、東日本大震災が国家のモデルチェンジを行うきっかけだったはずが、戦前の日本を取り戻そうとかいう妄言を振り撒く人間を総理大臣にしてしまったことで、その機会を国民自らが逃してしまった過ちはでかいと思う。

このまま行けば、ギリシャの例を見るようにオリンピックが終わった後、日本社会が崩壊するのではないかと、本気で考えている。
まるでヒーロー気取りのあまりに無責任な首相のスピーチに象徴されるように、恐らく、オリンピックが開催されるまでの間は、あらゆる権力を行使し、看板を付け替えて体裁を保とうとするだろう。
そんな張りぼての国家に明るい未来など訪れるはずも無い。
看板を引き剥がすだけの力が国民に無いのだとしたら、後は自滅を待つしか道は残されていないのだから。

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ポピュリズムの落とし穴に自らハマった橋下市長

ギャグマンガでお馴染みの「こちら葛飾区亀有公園前派出所」略して「こち亀」の中で、主人公の両さんが、更生した元暴走族を立派だとする風潮に対して、最初からグレずに真面目育ってきた人間の方が、遥かに偉いじゃないか!というようなセリフがあって、子供ながらに、その真理に強く共感を覚えた記憶がある(笑)
そう、残念ながら、世間というものは、真面目に問題も起こさず地味な生活を送ってきた名も知れぬ青年よりも、かつて、さんざん周囲に迷惑をかけてきたにも関わらず、後に更生した青年の方を、立派だと称えてしまうものなのだ。

つまり、偏ったサンプルを軸とすることで、その事によって導かれる相対的な評価を、あたかも絶対的な評価のように錯覚してしまうのだ。
まさに、これこそがポピュリズムの正体なのではないかと個人的には思っている。
そして、そういった錯覚に陥いり易い民衆の心理を巧みに利用して、のし上がってきた政治家が橋下徹大阪市長その人なのだ。

敵対する相手に対して、強引な自論を展開して断罪し、社会的なインパクトを与えたかと思えば、一転して歩み寄りの姿勢を見せるなど、さも相手の立場の尊重しているかのように振る舞い、相手の譲歩を引き出しながら、最終的に自分の意に沿うように物事を推し進めていくのだ。
強権的かつ過激な物言いで、ルサンチマンを煽る一方で、浪花節が通じる人間味溢れるイメージすら振り撒いてみせるのだから、恐れ入る(笑)
特に橋下市長が長けているのは、世間のコンプレックスを絶妙に刺激する過激さ具合であり、自らの権力の及ぶ範囲内で、その対象(仮想敵)を見事に作り上げてしまうところだ。
それこそ、大阪市音楽団や文楽における予算削減の一件は、まさにその典型だったとも言える訳で、本質的に見れば、予算の無駄遣いに関する大阪市民の偏見を助長させただけでなく、そもそも行政サービスの質の低下を、大阪市民自らが招くことにしかならないのに、何故だか、大多数の大阪市民が橋下市長の姿勢を歓迎するという、本末転倒な現象が引き起こされたのだった(笑)
即ち、問題解決を率先して図るべきべき事案などいくらもあるにも関わらず、そんな優先順位をすっ飛ばして、世間の話題や関心を引きやすい題材を巧みに利用して、市長として自らの権力を誇示し、支持を集めてきたのが橋下市長の得意とする政治手法なのだ。

そんな中、米軍の風俗利用と従軍慰安婦に関する発言が橋下市長の口から飛び出したのである。
発言の真意については、アメリカのご機嫌を損ねて急に日和りだした政府与党に対して、維新の会の存在感を示そうとしたのだとか、本心を語れない安陪総理を援護したかったのだとか、様々な憶測も流れているが、少なくとも慰安婦に関しての発言は、当初予定していた元韓国人慰安婦との面会を念頭において、計算ずくでなされた発言だったと考えられる。

つまり、慰安婦問題に関して執拗に強弁を繰り返していたのも、元慰安婦との面会でオチを迎えるための前フリに過ぎなかったのではないかということだ。
ネトウヨが喜ぶような妄言で世間を賑わし、元慰安婦との面会に世の注目が集めるように仕向け、元慰安婦の同情を誘うようなパフォーマンスでもって、政治家としての株を上げようという目論見があったのではないかと、当ブログでは勘ぐっている次第だ。

ところが、自らの妄言によって、その目論見が脆くも崩れ去る事態が起こる。
世間を賑わすどころか、国際的に物議を醸してしまったのだ。
とはいえ、あっさり発言を謝罪や撤回しようものなら、最大の支持を集める右派の人心を失いかねず、更には元慰安婦との面会でのパフォーマンスのインパクトも薄れてしまう。
恐らく、橋下市長は相当焦ったんじゃないかと思う(笑)
その間、慰安婦を肯定とも否定とも受け取れる曖昧な発言を繰り返して、時間を稼いでいたようにも見てとれる。
結果、その魂胆を見透かされてしまったのか、元慰安婦サイドから面会をドタキャンされる羽目になるのだけど、その際のリアクションも、意外や、いつもの橋下節を封印し、あっさりと受け入れる低姿勢なものだった。

橋下氏、面会拒否に「残念」 風俗発言は謝罪
 日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は24日、韓国人元従軍慰安婦が面会を拒否したことについて「非常に残念だ」と感想を述べた。同時に「今の僕に会いたくないのであれば、先方の気持ちが一番だ」と語った。
 旧日本軍の従軍慰安婦をめぐる発言に関しては「発言の真意を伝えたかった」と述べる一方で、「自分が(慰安婦を)容認したことは一度もない」と重ねて釈明。撤回や謝罪は拒否した。
 在日米軍に風俗業を活用するよう求めた発言では「米国人や米軍におわびしたい」と、初めて謝罪に言及。一方で「女性蔑視をしたつもりはない」とも強調した。
2013年5月24日 共同通信

今回の面会は、かねてから元慰安婦側から、申し入れがあったものであり、客観的に見れば、ドタキャンの非はまず元慰安婦側にある。
実際、このドタキャンによって、元慰安婦自らが、自分達の主張に疑問の余地を与えてしまうなど、非難を呼んだ面もあり、これまでの橋下節であれば、当然そこを突いてくることが容易に想像できたのだけど、彼は怒りを見せるどころか、元慰安婦達の心情を慮ったコメントを発したのである。
正直、これにはちょっとビックリした(笑)
が、これもまた、事態をなんとか収拾させたいとする、橋下市長なりの苦肉に策の表れだと考えると、なんだか合点がいってしまうのだ。

結局のことろ、これまで挑発的だった橋下市長の言動も、元慰安婦との面会で帳尻を合わせるつもりで発していたのではないかと考えられる。
ところが、想像以上の国際世論の反発と、面会のドタキャンによって尻切れとんぼに終わってしまったことで、収拾を図れなくなってしまい、結果的には、橋下市長自らの信用を落としただけの格好となってしまったのだ。
今日になって慌てて、公開文書なるものを発表したようだけど、今更、誤解だったと釈明したところで、そもそも、あえて誤解を招くような、センセーショナルな言動を意図的に言い放ってきただけに、もはやなんの説得力も持ち合わせてはいない。
失った信用は、そう簡単には取り戻せないのだ。
もとより、ポピュリズムによって得てきた支持は、失うのも早いということなのかもしれない。

思うに、これまで橋下市長が闘ってきた相手は、すべて自らの権限が及ぶ範囲内でのことだ。
市政に関する事はもちろんのこと、週刊朝日との一件も、自らの人格に関わる話であり、主体性は常に橋下市長の側にあり、主導的な立場で話をすることが出来た。
しかし、米軍の風俗利用や従軍慰安婦問題については、橋下本人の権限なぞ遠く及ばない外交的な事案であるのと同時に、相手側にも同様に主体性が存在しうる問題なのだ。
いや、これまでも、相手側に当然主体性は存在していたのだけど、自らの権限で封じ込めることが可能だったのと、ポピュリズム(合意形成)によって、相手側の主体性を無力化することが出来たに過ぎなかった話なのだ。
ところが、今回は、それが通じない相手を対象に、いつものやり口で話をおっ始めてしまったのだから、国際問題にまで発展し、今更、後戻りが出来なくなるものもそら当然の流れと言える(笑)
恐らくは、党代表という立場が、その一線を越えさせてしまったと想像するが、図らずも、彼が得意とするポピュリズムの手法が、グローバルな問題には、まったく通用しないことを自らの手で証明することとなった。
即ち、自ら生み出したポピュリズムの落とし穴に、自ら落っこちてしまったのだ(笑)

地方行政から国政へとなれば、起こりうる問題はより複雑化し、利害の調整を図っていくのがより難しくなっていくものだ。
ましてや外交など、相手の立場を損なわないようにしながら、自国の利益を確保しようとするならば、より高度な政治力が求められることになる。
そういった意味では、少なくとも、国政を預かるだけの政治力を、橋下自信が持ち合わせていないことを自ら証明してみせたと言える(笑)

そう考えると、未だに日中韓の関係改善を図ることが出来ない安陪総理もまた、国政を預かるには相応しくない総理大臣なのだと言える。
彼が、自国軍に拘るのも、己の外交力の乏しさの裏返しであり、(単純な)軍事力が、自分の主導的な立場を強くしてくれると本気で思い込んでいるところに、よく表れている(笑)
集団的自衛権を認め、核武装を行うことで、領土や慰安婦の問題が解決すると考えているならば、これほどオメデタイ話は無い。

話を戻すと、今回の、橋下大阪市長による慰安婦発言の一件によって、日本の政治のガラパゴス化が、改めて浮き彫りにされる形となった。
同じような事が、安陪総理の出現にも当てはまると思っている。
橋下市長のポピュリズムしかり、安陪総理のナショナリズムしかり、今の日本を見ていると、グローバル化に飲み込まれないよう、ローカリズムによって、必死の抵抗を図っているように思えて仕方が無い。
まさに端的な例として、排外デモなんてのが挙げられるけど、これに至っては当人達が見えていない仮想敵に対して、抵抗運動を挑んでいるようなもんで、もはや滑稽としか言いようがない(笑)

グローバル化とは、多様性を認める事だ。
そして、多様性を認めるということは、相互理解を深めていくことに他ならない。
即ち、コミュニケーションでしか、グローバル化を乗り越えることは出来ないのだ。
しかしながら、橋下市長や安陪総理を見る限り、そういったコミュニケーション能力が備わっているようには到底思えない。
むしろ、コミュケーションを軽んじてでも物事を進めようとする姿勢がありありだ。
だからこそ、国際的な批判に晒されるのである。

国際的な支持を得られない政治家が、日本国内では圧倒的な支持を集めるという、もはや危機的な政治状況なのだが、そのギャップが、今後、ますます広がっていくのか、それとも埋まっていくのか、まさに、今が分岐点のような気がしてならない。

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橋下徹、稲田朋美、西村眞悟の共通項

橋下徹、稲田朋美、西村眞悟

いずれの政治家に共通している事はなんですか?

と問われて、真っ先に思い浮かぶのは、妄言を吐きまくる極右政治家の皆さんといったところだろうか。
しかし、それだけでは完全な正解とは、残念ながら言えない。
実は、彼らに共通しているのは、皆、弁護士出身の極右政治家だったりするのだ(笑)

って、いやぁたまげた!
弁護士と言うと、てっきり、弱者や困っている人を救済したりするような、人一倍人権意識が高い人達だと思っていたんだけど、
むしろ、いとも簡単に人権を踏みにじることが出来る人が、なっちゃうお仕事なのかな?

思うに、上記お三方の妄言から一致して感じるのは、一方的かつ強者の立場からしか言葉を発せられないところだ。
それは、真実や真理を見極めようとするよりも、自らの正義を振りかざすことに懸命になっているように見える。
まぁ、職業柄、法廷で真実を追求することよりも、依頼人の利益を守ることが弁護士の仕事だと思ってそうだから、一方的な立場だけで、彼等が政治を語ろうとするのもある意味当然の話なのかもしれない。
んな訳で、別に弁護士を貶めるつもりはまったくないんだけど、いわゆる高い見識が求められる職業の人間が、なぜも、あんな低俗な極右思想に傾倒してまうのか、なんらかの因果関係があるように思えて仕方がないのだ。

ん?
いや待てよ?
不見識な人間だからこそ、弁護士を続けないで、政治家になったという解釈もあるか(笑)


それにしても、慰安婦に関する発言が問題になって以降の橋下市長の記者会見が、いただけない。
あそこまで自信を持って自説をぶちまけてるんだから、いつものように、大阪市のボードを背にして正々堂々と語ればいいじゃん(笑)
下衆の勘ぐりと言われても構わんけど、意図的に大阪市のボードを引っ込めてるようにしか思えないんだよね。
何か後ろめたいことでもあんの?
それこそ、安陪政権なんか、揃いも揃って、いきなり極右発言を自重しちゃったりして、ああいう見え透いた自主規制には、ほとほと呆れるしかないね。
即ち、自主規制しているってことは、実はそれって、自分達の極右思想には、社会では受け入れられない考え方だということを、ある意味、自覚してるからこそのようなもんで、なんともこざかしい限りだ。
そういえば、稲田朋美なんかは、かつてアメリカの新聞に掲載された慰安婦に関する意見広告に、賛同者として名を連ねて(当然、西村眞悟も賛同者の一人)いた訳で、むしろ、橋下徹と同じ考えのはずじゃなかったっけ?(笑)
てか、橋下徹は強制を否定しない妙な言い回しをしていたけど、稲田は強制そのものが無かったという主張をしていて、より過激なんですけど(笑)


ちなみになんだけど、別に、極右だろうが極左だろうが、政治家の思想信条は自由で全く構わないと思っている。
むしろ、様々な考え方があってしかるべきだし、それを選挙でもって民意が示されればいいだけの話。
ところが、日本の政治家は、都合が悪くなると、途端に平気で思想信条を塗り変えるインチキな政治家ばっかりなので、これじゃぁ民意の示しようがないってのが、日本の政治が置かれている現状なんだよね。

そういった意味では、なんちゃって左翼政党の影響で左右の政治バランスが崩れ、日本の右傾化が進んでいることを、以前ブログで指摘したことがあったけど、それに加えて、本当の右翼政党も、実は存在していないということが言えてしまうんじゃなかろうか。
もはや、この国には、なんちゃって政党となんちゃって政治家しかいないのか?!
そんな訳で、少なくとも、安陪総理が、自らの極右姿勢をごまかしながら政権運営を続けていく限り、日本の政治の混迷も、延々と続いていくということになりそうだ。


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