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日本クォリティ(最近の出来事について)

しばらく更新できなかった間にも、当然のことながら世の中は動いているわけで、その間の出来事についていくつか書き残しておきたいと思う。

中国鉄道事故 安全より国威発揚優先
20011年7月26日(毎日新聞:社説より)
中国で起きた高速鉄道事故を巡る一連の出来事は、まさに中国クォリティを世界中に知らしめることとなった訳だが、それらを報じる日本のメディアの多くの論調は、ほとんどが上から目線で書かれているものばかりで、それこそ日本の新幹線を絶賛する記事まで現れるなど、呆れる報道姿勢ばかりが目立っていた。

事故の全貌が明らかになっているわけではないが、凡その流れとしては、落雷の発生によって、運行システムになんらかのトラブルが生じて列車の追突が起こったとされ、更には、直轄の鉄道省の拙速かつ隠蔽を伺わせる事故対応によって、国内外の非難を一斉に浴びたというものだった。
加えて、製造国の異なる列車を使って運行していた為に、そもそも運行システムに不備があったにも関わらず、国家の体裁を優先させたことが、事故を招いた要因になったとも言われている。

う~ん。
これって、つい最近、世界中を賑わせた、某国の原子力発電所の事故と、なんだか似てませんかね?
落雷は津波に、製造国の異なる高速列車はそのまま製造元の異なる原子炉に、運行システムは原子炉の冷却システムに、鉄道省は東京電力や原子力安全保安院にと、置き換えてみると見事なまでに合致する有様だ。
事故の矮小化、安全を軽視した合理化、隠蔽体質、利権、国家の体裁等々、そういえば、ショベルカーで車両を埋め、方やヘリコプターで水を撒き散らすなど、同じようにお粗末な映像を世界に配信したところまでそっくりではないか。
何より、国家、大企業の論理を優先し、国民に都合の悪い事実を隠そうとする体質は、中国も日本もたいして変わりはないということを、世界中に露呈してみせたと言えよう。
詰まる話、我々は中国クォリティを鼻で笑う資格など無いのである。


宮城県産牛、基準値超セシウムさらに1頭で検出
2011年8月10日(河北新報)
牛肉の放射能汚染が止まらない。
一連の報道から、これらの経緯が指し示しているものは、食品の安全管理体制の不備そのものである。
まず第一に、我々は検査体制にもっと厳しい目を向けなければならないし、また、内部被爆の影響の大きさを、もっと考慮しなければならないということだ。
更に、飼料である稲ワラが放射性物質に汚染されていたとするならば、露地栽培の野菜も同様に汚染されていた恐れがあるということも、覚悟しておかなければならないのである。

過去のエントリーでも取り上げたが、食品におけるこの国の残留放射能の安全基準値は、巧妙に上方に調整された数値となっている。
改めて調べてみて判った事なのだが、牛肉や穀類などには放射性ヨウ素131の基準値は、そもそも設定されてはいない。
どうやら半減期を勘案したためとしているようなのだが、この先、高濃度な汚染や新たな汚染が引き起こされる事態も想定できるだけに、やはり、基準値を設けてしかるべきではないのかと、大いに疑問を抱く次第だ。
この辺りにも、安全基準を少なく見積もりたい国の思惑が感じ取れてしまい、不信感だけが募っていく。
調べてみるに、日本の安全基準は、どうやらEUの基準値を指針にしているようなのだが、EU諸国の人々が、放射性能汚染の恐れがある食品を日常的に口にする機会は、日本より圧倒的に少ないのが現状だ。
例えば、チェルノブイリ原発事故が起きたウクライナでは、EUや日本よりはるかに厳しい安全基準が設けられている。
ちなみに、野菜に限って言えば、中国の安全基準値ですら、日本の安全基準値よりも厳しい数値となっており、日本国内で安全と言われている野菜も、中国では輸入禁止に相当する野菜となりえるのだ。
いかに日本の残留放射能の安全基準が、甘く設けられているのかを表している実に笑えない話だ。
そんな、著しく妥当性を欠いた国内の基準値ですら守れないとは、この国の食に関する安全管理体制は完全に破綻していると言わざるをえない。
もはや、自衛する以外に身を守る術は無いのが現実なのだ。
幼い子供を持つ親のことを考えると、本当に胸が痛くなってくる。


当ブログでは、原発事故の諸悪の根源は、いわゆる電源三法によるところが大きいと考えているのだが、そんな悪法を作ってまで原子力発電を推し進めたかった動機の一つが明らかになるニュースがあった。

ビキニ被ばく受け原子力協力 米公文書、日本人は核に「無知」
1954年3月1日に太平洋ビキニ環礁で米国が行った水爆実験で静岡の漁船「第五福竜丸」が被ばくし、原水爆禁止が国民運動となる中、危機感を深めた当時のアイゼンハワー米政権が日本の西側陣営からの離反を憂慮、日本人の反核・嫌米感情を封じ込めようと、原子力技術協力を加速させた経緯が23日、米公文書から明らかになった。
共同通信が米国立公文書館で収集した各種解禁文書は、核に「無知」な日本人への科学技術協力が「最善の治療法」になるとして、原子力協力の枠組みや日本人科学者の米施設への視察受け入れを打ち出す過程を明記。
2011年7月23日(共同通信)

米、日本への核配備狙う 50年代、公文書に明記
米政府が、日本への原子力技術協力に乗り出した1950年代半ば、原子力の平和利用促進によって日本国民の反核感情を和らげた上で、最終的には日本本土への核兵器配備にこぎ着ける政策を立案していたことが4日、米公文書から分かった。
米公文書は、当面は核兵器配備に触れずに「平和利用」を強調することで、米核戦略に対する被爆国の「心理的な障壁」を打破できると指摘。米国の原子力協力は54年3月の第五福竜丸事件を機に本格化したが、米側に「日本への核配備」という隠れた思惑があった実態が浮かび上がった。
2011年8月4日(共同通信)

まさに、アメリカ政府と、中曽根康弘、正力松太郎が描いていた、日本の核武装化の思惑が合致したことを示すニュースだ。
これが、日本における原子力発電を推し進めることになった、由緒正しき理由なのだ。
核の平和利用?
笑わせんじゃないよ!

一方で希望を感じるニュースも。

南相馬市、新原発の交付金辞退へ 住民の安全を優先
東北電力の原発新規立地計画がある福島県南相馬市は、この計画に関連する「電源三法交付金」の受け取りを、今年度から辞退する方針を固めた。原発の見返りに自治体財政を潤してきた交付金だが、東京電力福島第一原発の事故で、自治体の判断にも変化が生じている。交付金よりも住民の安全を優先させた被災自治体の判断は、全国に広がる可能性がある。
2011年8月4日(朝日新聞)

南相馬市の桜井市長と言えば、原発事故が発生した当時、事故の実態もわからず避難指示も出ない中、緊急報道番組で、市長自ら切実に住民の安全と政府の無策を訴えていた様子が思い起こされる。
更には、急な首相との会合より県知事との約束を優先して話題となった際には、首相に対して「一つのメッセージを出したら、最後まで責任と忍耐力を持った対応が必要」と語るなど、はっきり言って、菅総理よりもよっぽど総理大臣に相応しい人物なのではと思うお方だ。
今回の南相馬市及び桜井市長の決断を当ブログは全面的に支持したい。


以上、なにやら政局が動き出してきた感もある今日この頃、政治の動向も見極めつつ、まだ書き足りていない話もあるので、次回の更新時に続きとさせていただきたい。
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